mayu-dokusyo’s blog

読書感想文公開用ブログ。ちゃんとした大人の、考察も含めたものにする予定です。

【2冊目】坊ちゃん/夏目漱石 第2週

 「おれ(坊ちゃん)」が
四国の中学校に数学教師として
赴任してからの話。 

 

読んだ範囲は
66ページ~114ページまで。

 

ある日、坊ちゃんは
寄宿舎の宿直をすることになった。

狸(校長)や赤シャツ(教頭)は
宿直をしないことに理不尽を感じつつ
なんだかんだと時間を潰して
布団に入るとバッタが何匹も入っていた。
寄宿生を疑うも白を切るばかり。

その後、騒音問題もあったため
寄宿生を捕まえて説教していたら
夜が明けていた。
そして狸がやってきて事なかれ主義で
場を収めてしまったため
「おれ」は不完全燃焼でイライラ。

 

狸から(寝ていないので)休んでもいい
と言われたが、大丈夫だと言って
授業はいつも通りこなした。

そして赤シャツから釣りに誘われ
画学の野だいこ(野だ)と共に3人で
釣りにいくこととなった。

 

布団にバッタが、と考えるだけで
身の毛もよだつし
それを叩いて潰したという表現がまた
鳥肌ものだ。。。

狸の事なかれ主義や
赤シャツの腰ぎんちゃくぶり、
さらに赤シャツを持ち上げる
画学の野だなどにだんだんと
「おれ」同様、辟易してくる。

 

船の上で清を思い出すシーンは
まるで母親を恋う息子のようだと思った。

清は赤シャツや野だのように
陰口を叩いたりしないし
人のことを笑ったりしない。

 

教師も人間だし、
そりゃあ内側にはドロドロした感情も
持っているだろう。

しかし、子供に伝播してしまうほど
ひねくれた考えを表に出す大人があるのか。

私が今まで出会った先生たちが
単に素晴らしかっただけだろうか。

聖人君主になれとまでは言わないけど、
教師は「人間とはかくあるべき」を
教えるものだと思っていたから
読み進めるうちにそういった幻想が
音を立てて崩れ落ちるような感覚がある。

 

まだキーワードとしての存在だが
「マドンナ」が登場した。
今後マドンナがどのように
坊ちゃんに関わってくるのか、
楽しみに読みたいと思う。

【2冊目】坊ちゃん/夏目漱石 第1週

前回読んだ「こころ」から
夏目漱石の余韻から抜けられず、
むしろ彼の作品に
もっと触れていたかったため、
吾輩は猫である」とで悩んだものの
二者択一でこちらを選んだ。

 

読んだ範囲は
5ページ~66ページまで。

 

「親譲りの無鉄砲で小供の時から
 損ばかりしている。」
から始まる有名小説。

 

両親からまともに愛された記憶はなく
兄とも仲が悪い。
唯一の味方であったのは
もとは名家の生まれである
女中さん・清(キヨ)だけだった。

 

母が病に倒れ、数年後に父も亡くなり
就職先の決まっていた兄は
「おれ(坊ちゃん)」に親の遺産600円を渡し
そのまま今生の別れとなった。

「おれ」は兄から貰った600円で
物理学校に通い、校長から
四国の中学校での数学教師を口利きされ
寂しがる清を置いて単身、四国へ赴任。

 

校長は狸、教頭は赤シャツ、
同じ数学の主任教師には山嵐という
あだ名をつけ、だんだんと明らかになる
教育現場の矛盾が描かれていく。

 

 

最初、「おれ」の性格というのが
いまいち読み取れず、
清の言う「あなたは真っ直ぐで、良いご気性だ。」
が理解できなかったが、
「おれ」が中学に赴任したあたりから
徐々にその気性も読み取れるようになった。


あだ名をつけたり、
天ぷらそば4杯や団子2皿、温泉遊泳などから
最初の淡々とした語り口とは違う
「おれ」の人間味が身近に感じ取れ、
共感を経て「おれ」と共に物語を追体験しているようだった。

 

ここまでのストーリーで一番面白いと思ったのが
山嵐に紹介された下宿先にて、

「お茶を入れましょう」と言いつつ勝手に「おれ」の
お茶を入れ飲み始める主人を見て
「この様子では留守中も勝手にお茶を入れましょうを
 一人で履行しているかも知れない。」
と思ったシーン。

主人の勝手さと冷静なツッコミに、
思わずふふっと笑ってしまった。

 

この主人は骨董好きで、
毎日仕事帰りの「おれ」に対して
例のお茶を入れましょうを履行しつつ
手を変え品を変え、
骨董を売りつけに来るのも参ってしまう。
こうして読んでいるだけでも嫌なのだから、
当の坊ちゃんはよっぽど嫌だっただろう。

 

授業を受け持つ教室でも、
黒板に「てんぷら」だの「団子」だのを
いじる内容が落書きされている。

昨今の(私のころを含む)学生とは少し違う、
陰湿な「よそ者いじめ」の気配がある。

 

この後、坊ちゃんはどのように
こういった手荒い歓迎を跳ね飛ばしていくのか。

 

坊ちゃんの冷静で的確な所感には
現代でも学ぶべき点がたくさんある。

そういった点にも着目しつつ、
読み進めていこうと思う。

【1冊目】こころ/夏目漱石 第4週(終)

なんとしても、今回で読み切って
キリよく次の本に進もうと思い、
1日で100ページ以上を読んだ。
今まで1日10ページだったのに。

 

そして、奇しくも今回の内容は
中学生(?)のころの
国語の教科書に
抜粋されていた箇所だった。

 

当時のお子ちゃま脳だった私には
衝撃的過ぎて、
Kの死に様がリアルに映像として
想像できるほど。

そして読み終えた今、
最初ほどの衝撃は無かったが
私の記憶が正確だったことが証明され、
新たな記憶として
上書き保存されることとなった。

 

読んだ範囲は
下 先生と遺書 (406~570ページ)。

 

Kと先生と奥さんと娘さん。
奇妙な4人の生活の中で
Kはとうとう先生に
娘さんへの切ない恋を告白した。

しかしKは寺の生まれであり、
今までの人生そのものが修行のようであり
今後もその予定で生きていたので

娘さんへの恋に走るか
宗教・思想に人生をかけるのかで
悩んでいた。

 

先生は先生で、突然のKからの
自白に驚いてショックを受けていた。
そしてKの真面目さ・素直さにつけこみ
Kを出し抜いて奥さんに対し
「娘さんをください」と言ってしまった。

そして結婚が決まり、
Kが自殺し、落ち着いてから結婚。
娘さんは晴れて先生の奥さんとなった。

 

この本を読み始めてから
長らくの疑問だったことのうち、
とうとう

☑先生と奥さんと「私」は
 その後どうなったのか
☑「私」の父や家族、遺産の話は?

この2点が不明なままだった。

まぁ、先生はやはり亡くなったのだろう。
そして奥さんは悲しみに暮れながらも
生活に困ることなく生涯を全うするのだろう。

「私」の父も亡くなるのだろうし、
遺産の分配もそれなりにするのだろう。

 

しかし知りたいのは
先生の遺体を「私」が発見するのか、
それとも奥さんか女中さんが発見して
葬儀まで終えているのか、
そしてそのときの
「私」と奥さんとのやりとり。

つまり、私はもっと夏目漱石の世界に
浸っていたかったのだ。

 

印象に残ったのは、
先生はあくまでも奥さんのことを
深く深く愛していたということ。

Kが死んでいる部屋も見せなかったし
Kの亡くなった理由が
奥さんを取り合っていたことに
あるかもしれないと一切言わなかった。

そして、自分を騙した叔父を軽蔑していたのに
自分自身もまた叔父と同じだったのだという
絶望感。

せっかく愛する人と結婚できたのに
自分への絶望と奥さんへの愛とのはざまで
先生はすっかり暗くなってしまった。

 

「恋愛は罪悪です」


今なら、あのとき「私」に向かって
言った先生のセリフが痛いほど分かる。

 

こうしてつらつらと書いていても、
「あのときこうしていれば」と
登場人物になりきって考えてしまうのは
夏目漱石の文才によるものだろうか。

 

私はどうだろうか。
私という人間が主人公の物語、
「いま」を振り返って
後悔しないように生きられているだろうか。

改めて考え直すキッカケとなった。

 

この本を読めて良かった。
今回、読書する機会を
与えてくださったYさんに、
この場をお借りして御礼申し上げます。

【1冊目】こころ/夏目漱石 第3週

前回の感想文、
文末に「次回で最後」なんて
書いていたのに、
今回までに読み切れなかった。

 

なんという無念。

 

それはさておき、読んだ範囲は
下 先生と遺書 (340~405ページ)まで。

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前回は、
病床に伏せる父のため
国元に帰っている「私」の元に
先生から遺書が届いた。

居ても立っても居られなくなった「私」は
東京行きの列車に飛び乗り、
その移動中に遺書という名の
長い手紙を読み始めた―。

というところまで。

 

まだ辿り着いてはいないが
このあとの展開が部分抜粋として
国語の教科書に載っており、

その展開があまりにも鮮烈で、
抜粋部分の最後にKが死んでしまうシーンを
当時の豊かな想像力のまま
今でも思い出せるほど、
私にとっては衝撃だった。

そして、そのネタバレとも言える場面を
覚えているが故に、
先生の友人であるKがいつ出てくるのか、
なぜあのような展開になったのか、

なぜ先生は「私」に出会うまでの間に
性格が変わってしまったのか。

次々と浮かぶ疑問が
ページを進めるごとにクリアになり、
更に新たな疑問が浮かぶ。

 

叔父に両親の遺産を使い込まれ
人間不信になった先生が、

下宿先の奥さんと娘さん相手なら
やっと心を許せるようになってきた頃
同郷出身の友人Kが登場する。

先生とKは幼馴染であり、
進学のために東京に来た時期も同じなので
少なくとも十数年前から友達だったのだが

先生の手紙にKが登場するのは
なにぶん、先生が心の傷を癒し
娘さんとの恋路も実りそうな気配がある頃なので

私を含む読者は恐らく、
急に出てきたお邪魔虫のように
感じてしまうのではないだろうか。

 

次回、とうとう衝撃のあのシーンを
20数年ぶりに読み返すと思うと怖い。

しかし浮かび続ける疑問の答えを
追い求めて読んでしまう、
抗いようのない、人間の人間らしい魅力。

それこそが、今なお読む人の心に
風を吹き込む夏目漱石の文才であり、
文豪たる所以なのだろう。

【1冊目】こころ/夏目漱石 第2週

前回UPしてから、
なんと1ヵ月も経ってしまった…

 

前回に引き続き、
夏目漱石「こころ」から、

 

読んだ範囲は 

上 先生と私 (84ページ~)
中 両親と私
下 先生と遺書 (~339ページ)まで。

 

こうして書いてみると意外と読んでる。

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前回、「私」が先生宅の用心棒を依頼されたあとの話。

実家の父が病に倒れたため、
学校を卒業後しばらく帰省することとなった。
そして、父がいよいよ危ないというとき、
先生から分厚い長文の手紙(遺書)が届く。

 

父の容態が気になり、内容を理解しないまま
手紙をペラペラとめくっていた「私」の目に

「この手紙があなたに届くころには
 私はきっと死んでいるでしょう」

の文字が飛び込んできたときの、
「私」の居ても立っても居られない描写が
印象的だった。

 

父のことが気になりつつも、
手紙を懐に押し込んで、着の身着のまま
車(当時の人力車)に飛び乗り
駅前から、母と兄に充てたメモ書きを車夫に託して
列車に乗り込むシーン。

 

まるで長い間会えていなかった恋人に
会いに行くかのよう。

 

私は、作者の意図する、そして
その他大勢の読者の皆様による解釈とは
かけ離れているかもしれないが、

まるで「私」と先生は、
出会いから今までがずっと
運命の恋人かのように感じている。

 

以前「先生がなぜ人嫌いになったのか」を話すとした
約束を果たすための手紙を書きながら、
なぜ先生は死を選ぶことになるのか。

 

先生が一度「東京に来れないか」と電報を打ったのは
「会いたくなったから」だと言わしめるほど、
「私」と先生の距離は近付いていたはずなのに。

 

この疑問に対する答えも
読み進めると明らかになるのだろうか。

 

次回で恐らく「こころ」は読了。
つぎに何を読むかを考えながら、
続きを読み進めることにしよう。

【1冊目】こころ/夏目漱石 第1週

 

はじめに。(言い訳とも言う)

令和2年4月1日。

 

今年の頭から師匠より

収入を上げたければ読書すべし、と言われ続け

早4ヵ月。

やっと重い腰を上げて本格的に読書を開始。

 

しかしこの4ヵ月間、読書に対し

全く向き合ってこなかったわけではなく

 

読書=紙ベースの本で読むもの、という思い込みから

ビジネス書を数冊買ってみたものの、

そもそも読む時間が取れずに居た。

 

そしてこの1ヵ月は電子書籍の読み上げ機能や

オーディオブックを利用して

「耳で読む」読書を検討していたところだった。

 

そんななか、iPhoneアプリデフォルトで入ってる

「ブック」を発見。

歴代文豪の書籍が無料でインストールできる、

とのこと。

 

嬉しさのあまり、きちんと確認しなかった私。

オーディオブックだと思い込んでいたら

電子書籍だったという大失態。

 

インストールしたものの、読み上げ機能は

本文を手動で「全選択」→「読み上げ」

としないと利用できない上に、表示ページ分しか

読み上げてくれないのでページごとにちまちま

選択しないといけない。

 

運転中に利用したかったのに、これでは本末転倒。

諦めて本来の用途通り読むことに。

 

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数ある文豪作品の中から選んだのは

夏目漱石の「こころ」。

 

小学校だか中学校だかの国語の授業で

一部抜粋の形で教科書に載っていて

学んだ記憶が薄っすらあるような…?

 

中途半端に終わっていて 

続きが気になっていた…気がする。

 

4/1~4/8までの約1週間で読んだ範囲は 

上 先生と私 (4ページ~83ページ)まで。

 

あらすじは、主人公である「私(男性)」が

書生だったころ、友人に呼ばれて行った鎌倉で

出会った「先生」との関りの話。

 

書生とは、

明治大正期に、他人の家に住み込みで

雑用等を任される学生(Wikipediaより) 

のこと。

 

書生さんって、ハイネックの

白Tシャツみたいなのの上に縦縞模様の着物、

ハンチング帽、下駄、というイメージ。

住み込みしてるというのは初耳。

 

冒頭、暑中休暇を利用して

友人のいる鎌倉へ行った際、「私」は

「金の工面に二、三日を費やした」のに

 

先生に出会ってからは、

先生が不在の間の用心棒を頼まれ

すぐ駆けつけることができている。

 

何故かと思って読み返したら、

暑中休暇が明けてどうやら先生は

鎌倉の別荘から東京の自宅に戻っていたらしい。

 

ちゃんと読み取れてなかったのは

雑司ヶ谷という地名がピンとこなかったから。

 

私はてっきり雑司ヶ谷

鎌倉近辺にあるものと思い読み進めていて、

しかしここに書くにあたり調べてみると、

東京の地名だったことが判明。

 

調べておいて良かった。。。

道理で交通費などの話がない訳だ。

 

そしてGoogle mapで見たところ、

作者である夏目漱石のお墓も

雑司ヶ谷にあるよう。

 

何か理由があるのかと思って調べたものの

答えとなる情報は出てこず。

 

さて、「私」が何故か惹かれて懇意になった

先生の魅力は

 

☑感情が表に出ず、何か闇を抱えていそうな感じ

☑人間嫌いと言いながら寂しそうな気もする

☑初対面のときの既視感

 

このあたりにありそう。

 

ここまでのストーリーは

 

「先生の家の付近で泥棒が頻発しているが

先生が留守にしないといけない日があるため

用心棒をしてほしい」

ということで頼まれた「私」が

先生宅で奥さんと会話するところまで。

 

ここまでの個人的なことをお願いされる仲に

なりながら、先生は「人間嫌い」だと言って

余り積極的に「私」と関わろうとしない。

 

文中には先生が旅に出る友人を見送りに行った

という描写もあるが、読んでいる限り笑顔が少なく

口調も淡々としている先生に「友人」?

どういう付き合いなのか想像し難い。

 

毎月必ずお墓参りするという、雑司ヶ谷に眠る人物こそが

先生の生涯唯一の友人だったのではないかと思う。

「私」の立ち位置が先生の中でどうなのかが

まだ出てこないので、正確には分からないけれど。

 

先生は書生である「私」が驚くほど物知りで

何かの分野の教授かと思いきや、

外には働きに出ていない様子。

その理由も人間嫌いだから。

 

しかし女中さんが居て、奥さんもずっと家に居て

子供は居ないものの、資金源はどこに?

 

そして「恋愛は罪悪である」とも言う。

美人の奥さんがありながら、

しかも異性は互いに相手ひとりしか知らない。

 

先生に関して、まだ謎だらけ。

用心棒として先生宅に行き奥さんと話すことで

何か判明することがあるだろうか。

 

続きはまた次回のブログで。